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鶏のあばら骨

sed scientia est potentia

古代ローマ皇帝も朝起きたくなかった|マルクス・アウレリウス『自省録』

連休明けはつらい。私は少し長めに連休を取っていたことから、今朝は休みボケというか、なかなか仕事に行くスイッチが入らなかった。朝起きたくないために布団の上でしばらくグダグダしていたが、最後には観念して「出勤するフリだけするか」くらいの気持ちで遅刻しない程度の時間帯に起き上がった。

朝起き上がれずに寝具の中でもぞもぞするのは私のような怠け者だけかと思うが、実は古代ローマ帝国五賢帝の一人マルクス・アウレリウスも朝は起きたくなかったらしく、こんな言葉を書き残している。

 明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めているために創られたのか。「だってこのほうが心地よいもの。」では君は心地よい思いをするために生まれたのか、それとも行動するために生まれたのか。小さな草木や小鳥や蟻や蜘蛛や蜜蜂までもがおのがつとめにいそしみ、それぞれ自己の分を果たして宇宙の秩序を形作っているのを見ないのか。

 しかるに君は人間のつとめをするのがいやなのか。自然にかなった君の仕事を果たすために馳せ参じないのか。「しかし休息もしなくてはならない。」それは私もそう思う。しかし自然はこのことにも限度をおいた。同様に食べたり飲んだりすることにも限度をおいた。ところが君はその限度を越え、適度を過ごすのだ。しかも行動においてはそうではなく、できるだけのことをしていない。

 結局君は自分自身を愛していないのだ。もしそうでなかったらば君はきっと自己の(内なる)自然とその意思を愛したであろう。ほかの人は自分の技術を愛してこれに要する労力のために身をすりきらし、入浴も食事も忘れている。ところが君ときては、款彫師が彫金を、舞踊家が舞踊を、守銭奴が金を、見栄坊がつまらぬ名声を貴ぶほどにも自己の自然を大切にしないのだ。右にいった人たちは熱中すると寝食を忘れて自分の仕事を捗らせようとする。しかるに君には社会公共に役立つ活動はこれよりも価値のないものに見え、これよりも熱心にやるには値しないもののように考えられるのか。

マルクス・アウレリウス『自省録』第五巻一(神谷美恵子 訳)pp.71-72

引用した文中にたびたび登場する「君」とは誰のことだろうか。それは執筆者マルクス・アウレリウス本人である。彼は紙とペンを用い、自分自身に向かって「起きよ、起きて自らのつとめを果たせ」と叱咤し鼓舞しているのである。なんと自分に厳しい、克己的な皇帝なのだろうか。

それもそのはず。哲人皇帝マルクス・アウレリウスが生涯を通じて実践したストア (Stoa) 派哲学は禁欲主義がその特徴であり、現代でも広く使われる「ストイック(Stoic)」という言葉の語源でもあるのだ。

文献

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

贈物が面倒に感じるのはそれが人付き合いを意味しているから

夏は贈物の季節でもある。お中元のCMが活発になるほか、3連休で旅行した人は友人・知人へのお土産を用意しただろう。お盆で帰省するときどんなお土産を用意しようか今から考えている人もいるかもしれない。しかし私はそうした贈物選びをしているときになにか息苦しさのようなものを感じてしまう。例えば「あの人には贈った方が良いのだろうか」「彼にはこの値段のものでも失礼に当たらないだろうか」「こんなものを選んで彼女に馬鹿にされないだろうか」といった逡巡をしてしまうのだ。私が感じるそうした面倒くささや息苦しさの背景には一体何があるのだろうか。

贈与の性質

物々交換を原初形態とする贈与の習慣は人類普遍のものだと考えられているが、その普及度や頻度は国によって異なる。西欧では貨幣経済の発展・普及とともに贈物の習慣は縮小したが、日本は貨幣経済が浸透した中世以降も贈物の習慣が根強く残った。例えば冠婚葬祭における通過儀礼に際しての贈答、お中元やお歳暮といった定期的に繰り返される贈答、また感謝や謝罪のしるしとしての贈答といった形で一般的に行われている。特に日本では贈物の内容で相手の気持ちや心情を推し量ることがある。贈答や返礼を行うべきときに行わないことは不義理・不誠実としてみなされることもあるなど、しばしば道徳的な性質を帯びることもある。

したがって我々が経験する贈与という行為は、社会的に強制され半ば義務化されたものであると言える。そして贈物がスムーズに授受されるとき、それは社会関係の安定化させ強化する機能を果たす。我々は意識的にせよ無意識的にせよ、人間関係の円滑化と結束の強化を目的として贈物を交換しているのだ。私が感じる贈与への息苦しさの理由もここにある。つまり、贈物選びを含んだ贈与行為それ自体が人付き合いを意味しているために、私は人間関係に付随したある種のしがらみを感じているのだ。

人類学の知見

ここで贈与交換を研究対象とした人類学の知見にも触れておこう。贈与交換のような経済活動に注目して人類学の手法を用いる分野を経済人類学と呼ぶ。代表的な研究者はマルセル・モースとレヴィ・ストロースである。

マルセル・モースは社会における贈与システムには贈与する義務、受け取る義務、返礼する義務という3つの義務があると主張し、特に返礼する義務の動因に注目した。すなわち彼はマオリ族の慣習を引き、「贈物には呪術的な性質があるため返礼がなされない場合には受け手に災禍がふりかかる」という信念が返礼の義務を生じさせていると説明した。お返しをしないことの気持ち悪さ、バツの悪さの背景には非合理的な潜在意識が関与しているということだろうか。

レヴィ・ストロースはモースの知見を批判しながらも継承・発展させた。彼は贈与交換の体系を説明する際、物品の交換だけでなく女性の交換をも射程に収めたのである。ある部族が生き残り発展するためには周囲の部族との継続的な結束や同盟が重要であり、そうした集団間のつながりの維持・強化のために物品と女性の交換が行われたと説明した。現代の一部の企業でも人事交流のための研修や出向といった形式で人材の交換が行われることを思い出す。

非合理な経済活動

贈物の交換は必ずしも経済合理性に従って行われるわけではない。もし人々が経済合理性のみに従うのであれば無償の贈与は行われないし、たとえ贈与が発生したとしても受け手はもらいっぱなしが得とばかりにお返しを用意したりはしないだろう。しかし現実には活発に贈物のやりとりが行われている。このことは何を意味にするのか。カール・ポランニーは、互酬性に基づく贈与交換が再分配や市場交換と並立し独立した経済統合原理である解釈した。つまり我々の経済活動(財の交換)は合理的な利潤追求のみによって成り立っているのではなく、人間関係・感情・信念といった非合理的な要素によっても突き動かされるである。

文献

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

親族の基本構造

親族の基本構造

人間の経済 I 市場社会の虚構性 (岩波モダンクラシックス)

人間の経済 I 市場社会の虚構性 (岩波モダンクラシックス)

人間の経済 II 交易・貨幣および市場の出現 (岩波モダンクラシックス)

人間の経済 II 交易・貨幣および市場の出現 (岩波モダンクラシックス)

入門用シューケアセットと箕子の憂い

とある一件でカタログギフトを頂いた。何を申し込もうかいろいろと悩んだのだけど、結局シューケアセットを頼むことにした。クリームも切れつつあったし、ブラシやクロスもボロボロになっているところだったからだ。

[エムモゥブレィ] M.MOWBRAY セントパトリックセット 4067 (Free)

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入門用セットということだったが使いやすいと感じる。ただ、しばらく使ってみるともう少し立派なクロスが欲しいとか、クリームの種類を増やしたいとか、果ては今履いているものよりも高い革靴が欲しいとか、際限なく欲が出てくる。まるで韓非子に出てくる「箕子の憂い」である。

昔、殷の紂王が象牙の箸を作らせると、箕子はそれを知って不安にかられた。箕子はこう考えたのである。「象牙の箸は素焼きの杯にふさわしくないから、必ず犀の角や珠玉をちりばめた杯を用いようとするだろう。象牙の箸やちりばめた杯には菽(まめ)や藿(あかざ)のスープでは済まされないから、必ず唐牛(からうし)や象の肉や豹の胎児(はらご)のスープがととのえられるだろう。唐牛や象の肉や豹の胎児のスープを飲む身では、粗末な短い着物を身に付けて小屋がけの下で食事をすることはあるまい。必ず錦の頃もをいく重にもかさねて身につけ、大広間や高楼で食事をすることになるだろう。わたくしはその行く末がどうなるかと恐れる。だからこそ、その第一歩のところで不安を感じるのである」。五年ほどしてから、紂王は、おおぜいの娘を裸にしてたわむれ、囚人たちを残酷な刑罰でもてあそび、酒糟の山、酒の池を眺めてたのしんだ。紂王は、ついにこのようにして滅んでいった。

韓非子」(金谷治・町田三郎 訳)『世界の名著 諸子百家』p.483

このままでは殷よろしく家計が破産の一途をたどってしまう(笑) 分不相応な欲求で身を滅ぼさぬよう、あるいは高まる欲求を鎮めるよう、おとなしく百科事典で靴の歴史でも調べてみたいと思う。

文献

世界の名著〈第10〉諸子百家 (1966年)

世界の名著〈第10〉諸子百家 (1966年)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第1冊) (岩波文庫)

韓非子 (第2冊) (岩波文庫)

韓非子 (第2冊) (岩波文庫)

韓非子 (第3冊) (岩波文庫)

韓非子 (第3冊) (岩波文庫)

韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)

韓非子〈第4冊〉 (岩波文庫)

四分円法をめぐる雑談

A この前ブログで四分円法のことを取り上げたんだけど。

B うん。

A 調べてみたらアレ、出典が見つからないのよ。どうもアイゼンハワーの作じゃないっぽいんだよね。

B あーあるよねそういうの。ライフハッカーみたいな慣れないことを書いてたらガセネタを掴まされたわけだ(笑)

A 出典が怪しい名言みたいなのって他にもあるよな。「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」みたいな格言の語源が老子だなんて紹介している名言サイトみたいなのを見たことあるんだけど、んなもん『老子』には載ってないからね。

B まぁ例のマトリックスについては日○アソ○エとかにも出てくるし、役に立つんだったら誰が作ったかなんてのは割とどうでもいいことなんだろうけど。

A ところで、仕事を分類する軸って重要性と緊急性以外にはどんなものがあるんだろうね。

B うーん、どうだろう。(指折り数えながら)難易度、上司の関心度、予算規模、想定所用時間、プロジェクト参加人数、顧客との相性、自分の得意分野か否か、社内の嫌なヤツと関わらなくていいかどうか・・・。

A だんだん愚痴っぽくなってきたな(笑) じゃあ「目立つかどうか」と「おもしろいかどうか」ってのはどうかな。トム・ピーターズの『セクシープロジェクトで差をつけろ!』じゃないけどさ。

B それはあんまり意味が無いだろうなぁ。

A なんで?

B だってそれだと全てのタスクを「地味」かつ「つまらない」の象限に投げ込まなきゃいけなくなっちゃうじゃないか。

文献

老子 (岩波文庫)

老子 (岩波文庫)

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ! (トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦 (2))

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦〈2〉セクシープロジェクトで差をつけろ! (トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦 (2))

関連記事

アイゼンハワーは四分円法を本当に使っていたのか

前回投稿した記事ではアイゼンハワーがよく用いたとされるタスク管理法「四分円法」を紹介した。

chickenribs.hatenablog.com

実は書籍やネット上でこのテクニックが紹介されるとき、アイゼンハワーが述べたとされる次のような言葉が添えられることが多い。それは「重要なことが緊急であることは滅多にないし、緊急なことが重要であることも滅多にない (What is important is seldom urgent and what is urgent is seldom important) 」というものである。重要性と緊急性を区別する考え方がよく表現されているというのだ。

しかし私が種々の百科事典でアイゼンハワーについて調べたとき、上述の言葉や四分円法についての記述は見当たらなかった。日本の百科事典はおろか、Encyclopedia of Britannica や Encyclopedia Ammericana にも記述が見当たらないのは不思議である。

そこで気になったので調べてみた。海外にはよく引用される言葉の初出や出典元を調べるサイトが存在するのだが、アイゼンハワーの例の発言については以下の記事で詳細な調査が行われている。

What Is Important Is Seldom Urgent and What Is Urgent Is Seldom Important | Quote Investigator

この記事によると、例の発言に近い文脈で最初に登場したのは1954年の世界教会会議第二回大会での演説においてだった。

I have two kinds of problems, the urgent and the important. The urgent are not important, and the important are never urgent.

「私は2種類の問題を抱えている。それは緊急な事柄と重要な事柄である。緊急な事柄は重要ではないし、重要な事柄は決して緊急ではない。」(引用者訳)

オリジナルの発言をそのまま受け取れば、重要かつ緊急の案件というのは存在しないことになってしまう。「重要な事柄は決して緊急ではない (the important are never urgent) 」からだ。したがってアイゼンハワーの考え方からすると例の四分円法による区分けはナンセンスということになる。

今となっては確かめようのないことだが、四分円法をアイゼンハワーがよく行っていたというエピソードのは単なるフォークロア(民間伝承)に過ぎず、事実とは異なる可能性があるのではないだろうか。

もし「ゆう活」に巻き込まれてしまったらアイゼンハワーの四分円法を試してみよう

残業を削減するために夏季限定で朝型勤務を奨励する取り組みが、7/1より国家公務員を対象に実施された。いわゆる「ゆう活」である。「ゆう活」の背景には長時間労働を抑制する目的や日本版のサマータイム制を実現するといったねらいがある。

国の行政機関だけでなく民間企業や自治体においても、残業時間の削減や効率的な働き方の実現をねらって夏場の勤務時間を早める取り組みは既になされているだろう。今回、政府が少々気合の入ったキャンペーンを行っていることで多少なりとも夏場の朝型勤務を推進する動きが広がる可能性が考えられる。

奨励されうる朝型勤務は、おおよそ次のような2つのパターンのいずれかまたは両方に該当すると考えられる。すなわち、①就業時間を早めるパターン、②通常の業務時間の後に行っていた残業時間を始業前に移動させるパターンである。特に後者は現実的なパターンであるが、このばあい時間外労働の「お尻」が自動的に始業時間になってしまう。極めて好意的な見方をすると、この制度によって労働者が終業後についダラダラと残業してしまいがちな悪習慣が是正されるというわけだ。

運悪く職場で朝型勤務が強く奨励されてしまった場合、上述のいずれのパターンであったとしても我々労働者は今まで以上に効率的に仕事を行うことが求められるだろう。日々の仕事の中で効率的にタスクを処理するためにはどうすればよいのだろうか。そこで有効なのが「四分円法」によってタスクを仕分けする手法である。四分円法とは緊急性と重要性という2つの軸によって取り組む仕事に優先順位を付ける方法である。アメリカ合衆国第34代大統領アイゼンハワーがよく行っていたテクニックと言われている。そのため四分円法はアイゼンハワーマトリックスとも呼ばれる。下のような図であれば見たことがある方も多いのではないだろうか。

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二次元マトリックスを用いて自分が抱えているタスクを仕分けすると、容易に優先順位を付けることができる。「緊急かつ重要」の象限に入る仕事はいますぐ実行する、「緊急ではないが重要」の象限に入るものは実行計画を立てる、「緊急でも重要でもない」の象限に入るものは実行しない、「緊急だが重要ではない」の象限に入るものは誰かに任せてしまう、といった具合だ。限られた時間的資源を有効に使うため、一度使ってみる価値はあるだろう。

文献

すべては「単純に!」でうまくいく

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仁義原理主義者としての孟子

孟子は戦国時代の儒家である。人間の本性としての性善説を唱え、諸侯に対しては仁義の徳による統治(=王道主義)を行うことを主張した。倫理や世界史の教科書でよく目にする孟子とその思想だが、荀子性悪説と対比すると性善説を唱えた孟子はなんとなく穏やかな人物のように思えてしまう。

しかし実のところ孟子の思想は仁義を重視しすぎるきらいがある。例えば「仁義に篤い君主が東の国を攻めると西の国の民衆はなぜこちらを攻めないのかと怒るだろう(東面而征西夷怨)」という言葉は、「仁義のための戦争なら攻め込まれる側の民衆も喜ぶはずだ」という諸侯の侵略を正当化した言葉とも解釈できる。また、「たとえ民を殺したとしても、それが道に従った行為の結果ならば殺された民はきっと恨んだりはしないだろう(以生道殺民、雖死不怨殺者)」という主張にいたっては被害者感情を完全に無視しているようにも思える(笑)

また、孟子は仁義を欠き民意に背いた支配者は天意にも背いていると考え、他の実力者によって排除されるべきだと主張した(=易姓革命)。この点はロックのように市民革命を肯定した社会契約説と類似している。易姓革命の思想は漢代に董仲舒によって完成されるが、孟子は戦国時代に武力革命を肯定するとともにその正当化・理論化に成功したのである。

教科書の情報から抱いたイメージとは異なり、著作を読んでいるとどうも孟子は血気盛んな人物のように思えてくる。武力侵攻や革命を仁義によって正当化する孟子はまるで仁義原理主義者のようだ。こうした豪快な主張をする孟子が「暴力を振るって良い相手は悪魔共と異教徒だけです」と豪語する『ヘルシング』のアンデルセン神父に重なって見えるのは私だけだろうか。

文献

孟子 (講談社学術文庫)

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世界の名著〈第3〉孔子,孟子 (1966年)

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完訳 統治二論 (岩波文庫)

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HELLSING 1 (ヤングキングコミックス)

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