鶏のあばら骨

sed scientia est potentia

文献リストを公開するのは勇気が要る

私は自分の本棚や論文の文献リストを他人に見られるのが恥ずかしい。なぜならそれらから自分の知的水準が透けて見えてしまう気がするからだ。学術論文での先行研究をレビューする際には複数の文献を比較しながら残された問題を発見する必要があるのだが、そこではアドラーが『本を読む本』の中で提唱したシントピカル読書*1が求められる。そのため、論文末尾の文献リストを読めば、あるテーマに関する著者の視点と議論がどの程度地に足がついているものなのか、そしてどの程度深みがあるものなのかということが推測できてしまう。

このことは本棚と蔵書が持ち主の知的宇宙の広さを表してしまうことと同様である。ピーター・ゲイは著書『ワイマール文化』の中で次のような逸話を書いている*21920年、ドイツの哲学者カッシーラーは、ワイマール文化を研究し膨大な資料を収集した美術史家ワールブルクの書庫を訪れた。そのとき彼は「哲学に関する書物と占星学と魔術と民俗学に関する書物の次に並べ」た特殊な配架法に新鮮な感動を覚えたという。

学術的な文脈を踏まえた正統的な文献リストを作るのは、百科事典や書誌の書誌、あるいは公開された博士論文や紀要論文を参照すればそう難しいことではない。しかしこのブログではせっかく誰かに読んでもらうのだから、異なる分野の著書同士をつなげて新たな視点を生むような、そんな文献リストを作りたい。

文献

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

ワイマール文化 (1970年)

ワイマール文化 (1970年)

本の神話学 (岩波現代文庫)

本の神話学 (岩波現代文庫)

*1:同一テーマで複数の文献を比較対照する読書法のこと。アドラーは四段階の読書術における最終段階としてシントピカル読書を位置付けた。すなわちアドラーは読書法の習熟について、①単語の意味や文法を理解して文章を把握する「基本読書」、②目次の確認や拾い読みによって本の全体像を短時間で把握する「点検読書」、③じっくりと精読し本の主題・論点や主張を深く理解する「分析読書」を踏まえて、最終的に④「シントピカル読書」が修得されるべきであると考えた。

*2:山口昌男も『本の神話学』の中で『ワイマール文化』から同じ逸話を引いているが、山口は『ワイマール文化』の日本語訳がひどい出来だと批判している。確かにひどい訳だった。