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鶏のあばら骨

sed scientia est potentia

老人の役を演じるのは難しいらしい|世阿弥『風姿花伝』

先日、ある劇団で演出家として活躍されている方とお話しする機会があった。劇団の法人化に伴う煩雑さとか、テレビ業界でコネを作っておくべき人たちのこととか、役者と研究者の共通点とか、興味深い話が多かった。その中でふと世阿弥が「老人の役は難しい」と書き残していたのを思い出したので、本当にそうなのかと尋ねてみた。

【原文】老人の物まね、此道のあうぎなり、能のくらゐ、やがて、よそめにあらはるゝ事なれば、是第一の大事也。およそ、能をよき程きはめたるしても、老たるすがたはえぬ人おほし。(中略)稽古のこう入て、くらゐのぼらでは、にあふべからず。

【現代語訳】 老人の物真似を演ずるのは、この道の重大事である。演者の能において到り得ている位がよそ目にはっきりとみられることであるから、これこそ第一の大事なのだ。およそ能を相当程度に極めた役者でも、この老人の姿の不得意な人が多い。(中略)稽古の却を積んで芸格の高い人でないと、こんな役はふさわしくないのである。

風姿花伝』(市村宏 訳)pp.50-51

風姿花伝』は能楽の大成者世阿弥が父・観阿弥の教えを祖述した能楽書である。基本部分は1400年頃に成立したとされる。『風姿花伝』は7部から構成されているが、その内の「第二 物学(ものまね)条々」では能楽の基本である物まねについて、女・老人・直面・物狂・法師・修羅・神・鬼・唐事という9ジャンルに分けて演技術を説明している。上述の一節はここから引用した。

役者を志していない我々にとっては「第一 年来稽古条々」の方が示唆深いかもしれない。年来稽古条々では7歳から50余歳にかけての役者生涯を7つのステージに区分し、各段階において習得すべきスキルと修行のあり方を説いている。要はキャリアデザインの話である。この点については稿を改めて書きたい。

話を戻そう。その演出家の方は『風姿花伝』を読んだことはなかったそうだが、私の質問に対し、「確かに難しい」と答えた。というのも、まず、たいていの役者は老人を経験していない。そもそも老人になるまで役者を続けることができる人は少数であり、老人として老人を演じる機会に恵まれた役者はそれだけで立派だという。

それに、老人は(魔法使いや仙人といった特殊な人たちと違って)比較的身近な存在なので、ふつうの衣装や化粧だけでそれっぽくしようとしても違和感が生じてしまう。最悪コントになる。映画やドラマで目にするような特殊メイクの技術をもってすれば老人に「似せる」ことはできるのだろうけど、と。

役者として老人を「演じる」ことの難しさは、昔も今も変わらないらしい。

文献

風姿花伝 (講談社学術文庫)

風姿花伝 (講談社学術文庫)