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鶏のあばら骨

sed scientia est potentia

贈物が面倒に感じるのはそれが人付き合いを意味しているから

夏は贈物の季節でもある。お中元のCMが活発になるほか、3連休で旅行した人は友人・知人へのお土産を用意しただろう。お盆で帰省するときどんなお土産を用意しようか今から考えている人もいるかもしれない。しかし私はそうした贈物選びをしているときになにか息苦しさのようなものを感じてしまう。例えば「あの人には贈った方が良いのだろうか」「彼にはこの値段のものでも失礼に当たらないだろうか」「こんなものを選んで彼女に馬鹿にされないだろうか」といった逡巡をしてしまうのだ。私が感じるそうした面倒くささや息苦しさの背景には一体何があるのだろうか。

贈与の性質

物々交換を原初形態とする贈与の習慣は人類普遍のものだと考えられているが、その普及度や頻度は国によって異なる。西欧では貨幣経済の発展・普及とともに贈物の習慣は縮小したが、日本は貨幣経済が浸透した中世以降も贈物の習慣が根強く残った。例えば冠婚葬祭における通過儀礼に際しての贈答、お中元やお歳暮といった定期的に繰り返される贈答、また感謝や謝罪のしるしとしての贈答といった形で一般的に行われている。特に日本では贈物の内容で相手の気持ちや心情を推し量ることがある。贈答や返礼を行うべきときに行わないことは不義理・不誠実としてみなされることもあるなど、しばしば道徳的な性質を帯びることもある。

したがって我々が経験する贈与という行為は、社会的に強制され半ば義務化されたものであると言える。そして贈物がスムーズに授受されるとき、それは社会関係の安定化させ強化する機能を果たす。我々は意識的にせよ無意識的にせよ、人間関係の円滑化と結束の強化を目的として贈物を交換しているのだ。私が感じる贈与への息苦しさの理由もここにある。つまり、贈物選びを含んだ贈与行為それ自体が人付き合いを意味しているために、私は人間関係に付随したある種のしがらみを感じているのだ。

人類学の知見

ここで贈与交換を研究対象とした人類学の知見にも触れておこう。贈与交換のような経済活動に注目して人類学の手法を用いる分野を経済人類学と呼ぶ。代表的な研究者はマルセル・モースとレヴィ・ストロースである。

マルセル・モースは社会における贈与システムには贈与する義務、受け取る義務、返礼する義務という3つの義務があると主張し、特に返礼する義務の動因に注目した。すなわち彼はマオリ族の慣習を引き、「贈物には呪術的な性質があるため返礼がなされない場合には受け手に災禍がふりかかる」という信念が返礼の義務を生じさせていると説明した。お返しをしないことの気持ち悪さ、バツの悪さの背景には非合理的な潜在意識が関与しているということだろうか。

レヴィ・ストロースはモースの知見を批判しながらも継承・発展させた。彼は贈与交換の体系を説明する際、物品の交換だけでなく女性の交換をも射程に収めたのである。ある部族が生き残り発展するためには周囲の部族との継続的な結束や同盟が重要であり、そうした集団間のつながりの維持・強化のために物品と女性の交換が行われたと説明した。現代の一部の企業でも人事交流のための研修や出向といった形式で人材の交換が行われることを思い出す。

非合理な経済活動

贈物の交換は必ずしも経済合理性に従って行われるわけではない。もし人々が経済合理性のみに従うのであれば無償の贈与は行われないし、たとえ贈与が発生したとしても受け手はもらいっぱなしが得とばかりにお返しを用意したりはしないだろう。しかし現実には活発に贈物のやりとりが行われている。このことは何を意味にするのか。カール・ポランニーは、互酬性に基づく贈与交換が再分配や市場交換と並立し独立した経済統合原理である解釈した。つまり我々の経済活動(財の交換)は合理的な利潤追求のみによって成り立っているのではなく、人間関係・感情・信念といった非合理的な要素によっても突き動かされるである。

文献

贈与論 他二篇 (岩波文庫)

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親族の基本構造

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人間の経済 I 市場社会の虚構性 (岩波モダンクラシックス)

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人間の経済 II 交易・貨幣および市場の出現 (岩波モダンクラシックス)

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