論文執筆に必要なことは大抵この本の中にある|戸田山和久『新版 論文の教室』
2月の中旬といえば、ほとんどの大学4年生は卒論の提出や口頭試問が終わった頃だろう。一方、3年生はインターンシップを含めた就職活動にいそしんでる人も多いだろう。この背景には、経団連の倫理憲章の見直しに伴って就職面接の解禁が4月から8月に繰り下げられたことが影響している。企業側は特に1日限りの「ワンデーインターン」を企画することによって学生との接点を確保しようとしている。「学業への専念」を主な目的とした面接時期の繰り下げであったが、青田買いの様相は変わらない。むしろ、年末から8月までインターンシップの予定を埋める学生にとっては学業のために費やす余裕はないだろう。
こうした状況は特に卒業論文の執筆に少なからぬ影響を与えると予想される。なぜなら、今までの就活生は4月に企業から内々定を得ることを区切りとして卒論執筆に専念することが多かったからだ。(名目上)8月に内々定を得るスケジュールに変更されたことで、16卒以降の学生の多くは①8月以降に卒論執筆に専念するor②早い時期から就活と卒論の両立を図るという2つの選択肢の内いずれかを選ばざるを得なくなった。①②のいずれも大学生にとっては決して容易なことではない。従来よりも少ない時間的・体力的・精神的資源の中で卒論執筆に臨むことを求められる可能性があるからだ。
今年以降の卒業論文の執筆を課される大学生にとって重要なことは、論文執筆のコツをできるだけ早い段階で修得することだと思う。ここで言う「コツ」とは問題の定義やデータの取得を含む研究デザイン全体に関わるものだ。論文執筆のコツを知るためにおすすめしたいのが戸田山和久の『新版 論文の教室』である。本書で得られた論文執筆のコツを普段の講義の課題として出されるレポート執筆などに際し実践することで、卒論執筆を効率的に進めることができるだろう。
論文の基本構造と本書の長所
論文をはじめとする論理的な文章の基本構造というのは問い・結論・根拠の3つだ。この3つを明確に整理できていない、あるいは3つの作り方がわからない場合、どのように論文を書けばいいのかわからないという状況に陥ることになる。講義のレポート程度ならてきとーに書いても単位は来るが、この論理的な文章の3要素がわからないまま卒論に取り組むようになると、数か月間にわたって理想(自分が納得できる出来)と現実(内容がないような出来)の齟齬に苦しめられることになりかねない。大学生活の集大成として満足できる(十分に論理的な)卒論を書きたいのであれば『新版 論文の教室』を何度も読んで実践することをおすすめする。
『論文の教室』の良いところは、問いの立て方と論証の方法の説明が充実していることだ。結論のインパクトと妥当性はそれぞれ問いと論証の良し悪しに依存するため、この手の本は問いと論証に関する内容が充実していることが重要になる。問いの立て方については「ビリヤード法」という方法が参考になる(pp.126-135)。特に、漠然としたテーマに対してぶつける問いの14パターン(p.127)があれば「わからないことがわからない」などということも無くなるのではないだろうか。
妥当な論証の条件について(ダメな論証の例と併せて)説明されているのもポイントである。論証とは、結論に至るまでの根拠を論理的に組み立てることを指す。ほとんどの人は論証形式に関して演繹法と帰納法の2種類で十分だと考えていると思うが、本書では8つの論証形式が紹介されている上にそれぞれの妥当性についても説明が加えられている(まとめたものはp.176)。すべてを使いこなすのは難しいが、自分の主張を導く/支えるための方法として知っておいて損は無い。この辺りは科学哲学研究者である戸田山の面目躍如といった感じがする。
本書の限界
しかしもし本書についてぜいたくな注文をつけるのであれば、問いを絞り込む方法として「なぜこの問いが問われるべきなのか」という視点についても言及してほしかった。たとえ問いが絞り込めたとしても、その問いが大して重要でない場合というのはよくある。絞り込むと言ってもそれは最終的に洗練された問いに発展させなければならず、絞り込んだ結果些末な問題になっては意味がない。結論のインパクトを大きくしたいのであれば、最初に設定する問題の重要性も十分に考慮される必要がある。
この点は論文の先行研究レビューの役割と関連する。重要な問いというのは新たな発見をもたらす未解明点であり、アカデミズムにおいてこれは先行研究が検討しなかった点や先行研究が係争している点を指す(ただし前者については重要性の説明が別途必要な場合もある)。先行研究の整理や批判的検討、研究史の中での自分の研究の位置付ける方法を理解するには、本書にあるような「資料の探し方」を知るだけでは十分では無い。このあたりになると論文の書き方というより研究の方法論の領域になるかもしれないが、論文の出来を決める大事な要素のひとつではあるため、設定した問いの重要性を説明する方法についての説明があるとなお良かったと思う。
関連図書
類似の論文作法の本は既に多く出版されている。本書の中で紹介されているもの(pp.302-306)以外でおすすめを挙げるならば川崎剛『社会科学系のための「優秀論文」作成術』、心理学にテーマを絞ると松井豊『心理学論文の書き方』が良い。もっと研究の方法論的なものが知りたいという人はまず高根正昭『創造の方法学』を読み、スティーヴン・ヴァン・エヴェラ『政治学のリサーチ・メソッド』を参照すると良い。
とはいえ、論文作法の関連書籍の中ではやはり『新版 論文の教室』を一番におすすめしたい。本質的なことも技術的なことも、論文執筆に必要なことは大抵この本の中にある。
文献
新版 論文の教室―レポートから卒論まで (NHKブックス No.1194)
- 作者: 戸田山和久
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/08/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: 戸田山和久
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
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社会科学系のための「優秀論文」作成術―プロの学術論文から卒論まで
- 作者: 川崎剛
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2010/04/09
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改訂新版 心理学論文の書き方---卒業論文や修士論文を書くために
- 作者: 松井豊
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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- 作者: 高根正昭
- 出版社/メーカー: 講談社
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- 作者: スティーヴン・ヴァンエヴェラ,野口和彦,渡辺紫乃
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2009/07/14
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